アーティストとして、母として、起業家として。幾度もの転機を経て、今、榎原理絵さんは“ケアとアート”の交差点に立っている。娘と描いたインクアート、病室での心の動き、現場で出会った小さな感動——彼女の表現は、誰かにとっての「回復の言葉」になるのかもしれない。榎原理絵(えばら りえ)大学ではアラビア語を専攻しチュニジア留学を経て、システム会社・繊維商社で経験を積み、キャリアを築く。デジタル領域での企画・開発・ブランディング業務に携わった後、2017年に「さつきデザイン事務所」を設立。中小企業や個人事業主の新規事業に携わり、戦略からプロモーションまで一貫したブランディング支援を手がける。2021年、京都芸術大学大学院へ進学。その直後、乳がんと告知され、仕事・学び・子育て・治療を同時に抱える生活が始まる。2024年、アートの力で社会と闘病者をつなぐ循環型のケアのしくみ「アトリプシー/ART+3C」を立ち上げ、同年、東京藝術大学DOORプログラム修了。現在は表現と社会の接点を探る活動を続けている。“誰かのために”という原点企業勤めから独立された経緯を教えてください。企業での仕事はやりがいも達成感もありましたが、「自分の仕事が誰のために役立っているのか」が見えづらくなっていきました。数字が成果として評価される一方で、デザインの本質的な価値や、それが人に届いたという手応えが、組織の中で埋もれてしまっていたんです。もっと顔の見える距離で、誰かの力になっていることを実感したい。そう思ったのが独立のきっかけです。起業してからは、保育園などの地域の中小企業のブランディングに関わる中で、「ありがとう」「お客様の反応が変わったよ」といった声が、ダイレクトに届くようになりました。特に印象的だったのは、「自分が目の前の一人を助けたら、その人が10人、20人の助けになる」と気づいた瞬間です。こうした実感が、今の活動姿勢をつくる原点になっています。榎原さんがブランディングを手掛けた重症心身障害児、医療的ケア児専門の児童発達支援・放課後等デイサービス「ノビシロ」大学院に進学した理由なぜ社会人経験を経た後に大学院へ?独立して地域企業の現場に深く関わるようになったことで、「デザインに対する理解のギャップ」を強く感じるようになりました。たとえば、予算ひとつ取っても、大手は何千万、中小は数十万。そこにあるのは、スキルの差ではなく「価値の捉え方」の違いです。デザインの価値を知る者同士なら通じる考え方が、日々の業務に追われている現場の方々には理解されづらい。どうしたらこの差を縮めることできるのか。——そんなもどかしさから、「デザインとは何か」を実践と理論の両面から学び直す必要があると考え、京都芸術大学のMFA課程(Master of Fine Arts=芸術修士)に進学しました。突然の乳がん告知と、日常の大きな揺らぎ大学院での学びの途中、乳がんを告知されたそうですね。はい、本当に突然のことでした。これから研究も事業も本格化させていこうという矢先、「あなた乳がんです」と告げられて。頭が真っ白になって、「明日からどう生きればいいのか」もわからなくなりました。抗がん剤は強いものを短期間で集中投与する必要があり、大学院は休学、仕事も子育ても一時休止するように主治医から言われました。しかし、娘はまだ小学生。母子家庭ということもあって、どれもやめるわけにはいかない。経済的にも精神的にもかなり追い詰められました。娘と描いた、癒しと再生のインクアートアートとの出会いは、そのような状況の中だったのですね。はい。そんな混乱の中で、少しでも前向きな時間をつくろうと思ったんです。娘は絵を描くのが好きだったので、家でもできる遊びとして始めたのがアルコールインクアートでした。インクを垂らして、偶然に生まれるにじみや色の広がりを一緒に楽しんで。病気や生死の話ではなく、色や形の話だけが交わされるその時間が、私たちにとって救いでした。インクアートは、親子の“共通言語”になっていきました。正解や評価がないからこそ、自然体で向き合える。結果として、自分の心を癒やす処方箋のような存在になっていたんだと思います。親子ツーショット Photo: Yoshiro Masuda ケアの循環を生み出す「アトリプシー」「アトリプシー」という活動は、どのように始まったのですか?闘病中に娘と一緒に描いたインクアートの時間が、私にとって本当に救いでした。「これって、私たちだけじゃなく、他の人にとっても意味があるかもしれない」と思ったことがきっかけです。「アトリプシー(ART+3C)」は、アートと「Care(ケア)」「Communication(対話)」「Connection(つながり)」という3つのCを組み合わせた造語で、ケアとつながる循環型のしくみです。アート表現を通じて、病気であっても、病気でなくても、人がよりよく生きられる(ウェルビーイング)社会づくりを目指しています。ワークショップでは、誰もが評価されずに自由に描ける場をつくり、作品をスカーフなどに編集して“自分らしさ”を形にする試みも行っています。「これ、私の作品なんです」と誇らしげに語る声を聞くたびに、表現の力を再確認しています。アトリプシー(ART+3C)公式サイト病院での表現活動と、その可能性3度入院された中で、病院にアートが必要と感じられたのですよね。はい。それで、病院にアートを提案したのですが、感染対策や組織の壁もあり、実現は簡単ではありませんでした。特に大きな病院になると、外部との連携に慎重なところが多いと感じました。でも、私自身が患者として感じたのは「アートが心の状態を整えてくれる」という確かな実感でした。 その思いに共感してくださった個人クリニックや医療施設などが絵を飾ってくれています。ゆくゆくは、患者さんが描いた抽象画を病院内に展示するような活動も行い、医療の場においても“表現すること”の価値を少しずつ広げていきたいと考えています。 クリニックに飾られた榎原さんの娘さんの作品 「生命の息吹」KYOTO STATION GALLERYでの展示HACKK TAGの展示に参加された経緯を教えてください。HACKK TAGは以前から知っていて、活動や展示の考え方に共感していました。参加するなら、自分のこれまでの活動と重なるテーマがいいなと思っていたんです。そんな中で「Fashion」というテーマを見て、これまでアルコールインクアートをスカーフなどに展開してきたことと自然につながりを感じました。それで今回、KYOTO STATION GALLERYでの展示に参加することにしました。また、HACKK TAGに個別相談を申し込んだところ、その場で展示の意図やテーマについて丁寧に説明していただけたことで、「これなら自分の作品も受け入れてもらえる」と感じられたのが大きかったです。※展示に関する無料個別相談はこちらKYOTO STATION GALLERY aoiro前にてご自身の作品と一緒に展示された作品について教えてください。《情熱の萌芽 / Bloom of Passion》という作品を出展しました。さまざまな花から集められた色とりどりの花びらが、新たな一輪の花へと融合する際に生まれる、ぶつかり合う情熱を描いています。本来は出会うことのなかった私たちが出会い、共感し、語り合うことで、想像を超えた“何か”が生まれる予兆を表現しました。展示に踏み出すあなたへこれから展示を始めたい人にメッセージをお願いします!誰かに見てもらうということは、自己肯定感の回復につながると私は思っています。最初は「誰が私の絵を見るんだろう」と不安もありました。でも個展で作品を見て涙を流してくれた方がいて、「共鳴してくれる人がいる」という感覚を持てたんです。あなたの作品も、きっと“誰かの物語”とつながる力を持っています。まずは一歩踏み出して、展示という舞台に立ってみてください。「表現すること」の喜びと、「誰かに届くこと」の感動が、きっと待っています。HACKK TAGの展示では、事前にしっかり話を聞いていただけたこともあって、「自分の作品を安心して出せる場」だと感じられました。そう感じたからこそ、もし迷っている方がいれば、HACKK TAGのようなサービスを通じて、一度展示してみることをおすすめします。対談を終えてHACKK TAGからのメッセージ私たちは、街中のさまざまな場所での展示や多様な企画・イベントを通じて、アーティストの皆さんからお預かりした資金を活かし、常に新たな表現の可能性を模索しています。 今回、榎原さんの「アートを通じて患者さんの心に寄り添う」取り組みに深く共感し、インタビューをお願いする運びとなりました。HACKK TAGでは、サービスを通じてアーティスト一人ひとりの熱意や想いを受け止め、それぞれの活動がより多くの人々に届くよう後押しすることを目指しています。 個人ではなかなか実現が難しい挑戦も、同じ志を持つ仲間となら形にできるかもしれません。 「自分も何か始められそう」「誰かと一緒に広げていきたい」——そう感じていただけた方は、ぜひ一度ご連絡ください。